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本、映画、DVDなど、読んだもの、見たこと、聞いたことをつらつらと書いた日記。
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若者殺しの時代

2006/08/13 20:28
若者殺しの時代
堀井憲一郎 講談社現代新書

本書は現代の若者がなぜ今閉塞感を持って生きているかを、1980年代、1990年代の象徴的な出来事と、それによって若者がどのように変わっていったかを追うことによって解説した本です。
若者はいかにして社会に、大人たちに踊らされていったか、そして今また、社会の崩壊を選択してしまった大人たちの道連れにされようとしている、ということを時系列的に解説しています。
誠に若者にとって生きづらい世の中であるということなのです。

バブルの崩壊とともにこの国は成長することをやめました。しかしどこかにまたがんばれば成長できると心のどこかで思っていたと筆者はいいます。しかし、1995年、阪神・淡路大震災、オウム事件が起こり、その気分を徹底的に潰されたのです。このとき、若者はいろんなものをあきらめてしまった、とも述べています。高度経済成長はできないが、高度経済成長するシステムだけ残ってしまった。大人はそれにしがみついて国家財政を圧迫し、若者を道連れにしつつ、なにやってんだ、働け!と言い続けているのです。

最後に筆者は、若者にこういうメッセージを残します。

逃げろ!

若者が居場所を確保する可能性は2つしかない。ひとつは、壊す。もうひとつは、逃げる。
壊すことは大変だ。そうなると、逃げるしかない。
しかし、マトモに逃げるとすぐ捕まってしまい、「ニート」などとレッテルを貼られて強制送還されてしまう。
そこで、筆者の提案として、文化を身につけるのはどうかと語っています。
私は、手に職をつけることと解釈しました。伝統芸能もよし、ラーメン屋もよし、とにかく、今のシステムに組み込まれにくいことを身につけて、次のシステムの到来まで逃げて、かわしなさいということのように理解しました。
皆さんはどのようにお感じになるでしょうか。
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「他人を見下す若者たち」

2006/08/06 11:15
他人を見下す若者たち

速水敏彦 講談社現代新書

最近の本のタイトルの付け方はうまいと感じます。つい手に取ってみてしまいます。
本書もつい買ってしまった本のうちのひとつです。幅広の帯にマンガが配されており、これも「オッ」と思わせるのに一役買っています。

本書は表題の通り、現代の若者を批判的に分析し、若者の中には根拠のない「仮想的有能感」が蔓延し、「自分以外はバカ」と信じる他者蔑視の思想がはびこっているということをとうとうと述べた本です。

キレる子ども
著者は最近の子どもが「怒り」の感情を多く表出する傾向にあるとして、小・中学校の教師へのアンケート結果から論じています。ここで早い段階から少し引っかかってしまいます。それはこのアンケートが、教師による昔と今との生徒の印象調査だからです。
また、大学生に1日の中で生じた感情を書き留める調査から、感情をあまり表に出さない傾向が見られるが、しかし、些細なことで「キレる」ことが、近年の凶悪事件などから見て取れるというのです。このあたりの論説がスッポリ抜けています。
また、若者は「キレる」と論じたかと思うと、60年代は安保闘争などで若者が怒りに燃えていたが、今の学生はあまりにも平和で、外部に向かって怒りを表すようなことがないとも述べられています。このあたりの論理の転換を、今の凶悪事件や流行歌、映画の題材などを例にとって述べていますが、現代の風潮のごく一部を切り取って論じているような印象を受けてしまいました。

他人を見下すメカニズム
著者は若者が他人を見下すメカニズムとして「有能感」を取り上げています。
その有能感は3つに分類されるといいます。
1.仮想的有能感
2.自己愛的有能感
3.自尊感情
このなかで「1」の仮想的有能感は、自己の価値を低く評価し、同時に他者の評価も低く評価する感情だといいます。自分に自信がない、自己愛や自尊にまで昇華しない不安定な感情を、他人のせいにしたり、他人を低く見ることによって補う感情だということです。自己肯定を他者否定から見いだそうとする心理が仮想的有能感だということなのです。
これはこれで著者の論考として考えられるのではないかと思うのですが、このことが若者全般に見受けられるということへの結びつけが本書から見いだせないのです。あたかも若者はこうであるという前提において論が展開されているような印象です。

ではどうしたらいい
本書でもうひとつ残念なのは、ではどうすればいいかという話がほとんどないことです。このことが軽く触れられているのは本論の最後6ページ分です。これではまるで本書自体が「若者を見下す年配者たち」ではないかと感じてしまいました。


ニート、キレる、凶悪化など、常に若者はいろいろなラベルを貼り続けられているような気がします。それは大人によってです。本書に限らず、大人は子どもを育てたいのか、バカにしたいのか、どちらなのでしょうか。

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ヒロシマ

2006/08/06 10:02
今年も8月6日がきた。
広島出身の私にとっては「特別な日」という感覚がある。
広島に原爆が投下された日だ。

私が小・中・高校の頃は8月6日は登校日だった。
8時15分に黙とうをし、誰だかの話を聞いた後、被爆の記録映画をみるのが常だった。怖かった。悲惨だった。今でもトラウマになっている。今でもこの伝統は続いているのであろうか。子ども心に苦痛以外の何者でもない時間であったが、ぜひ続けてほしい。今はそう思っている。

上京して驚いたことの一つに、8月6日をあまり特別にとらえていないことがあった。今日の日経新聞も一面には何もなく裏から2ページ目の社会欄に載っているに過ぎない。。

「ヒロシマ継承、若者が主役」日本経済新聞2006年8月6日朝刊
“クラブ”会場に体験談

被爆者が高齢化し、原爆の悲惨さを語る人が少なくなり、記憶の風化が危惧されているが、メディアの扱いの大きさを見ると、風化の原因は他のところにあるような気がしてならない。今の人たち(老若男女あわせて)にとっては原爆はもはや関係ないものになっているような気がする。
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「超バカの壁」

2006/08/04 03:26
「超バカの壁」
養老孟司 新潮新書

養老孟司氏の「壁」シリーズ第三弾。
本書を含め、この「壁」シリーズでの養老氏の主張は、日本人が都市化しているということに帰結しています。都市化とは、脳化だというのです。現代は都市と自然、意識と身体を切り離し、自然や身体を排除しようとしているのだ。そのための事例をあれこれ語り口調で明快に斬る、という運びになっています。

意識と身体
養老氏は本書に取り上げている様々な問題を「意識と身体」を分けて考えるようになったからだという論を軸に展開しています。前々作「バカの壁」で氏は、一元論という言葉を使っています。一元論とは意識のみを取り扱う考え、脳で考え作り出したことがすべてであるということで、これを「都市化」と表現しています。都市化の中では人は「ああすればこうなる」と脳の中で考え、そうならないものは排除しようとするのです。つまり、身体を切り離し、ないものとして抹殺しているのが現代だというのです。

子どもの問題
少子化、ニートと現代の若者をとりまく問題が様々に議論されています。
ことに少子化については、持論の意識と身体に結びつけ、子どもというのは自然である、いわば身体の方だ、だから脳化社会ではそれを排除する方に向かうのだというのです。また、現代は子どもを作ると損する社会になっている、これじゃあ子どもを生みたがらないとも語っています。

ニートの問題
現在、ニートと規定される若者は約80万人と発表されています。ニートに関しては現在、様々な取り組みがされていますが、それらのほとんどは彼らを教育して社会に出そうという論調で占められているように思います。その考えの根底には「若者の甘え」に起因するものが多いように思えます。確かにそのような若者もいると思いますが、十把一絡げにして甘えを原因にするのは一抹の疑問を覚えます。まるで少し前に問題になった「キレる17歳」みたいです。17歳の少年は全員キレているのか、ということです。
氏はこのことについて、ニートのような若者は昔からいたのだ、今更ギャーギャーいう方がどうかしているとバッサリ斬っています。そもそもラクをしたいという気持ちはいつの時代にもあるもので、今ことさらに取り上げるものではないと語っています。ただし、現代はそれを実行しやすい環境がそろってしまっているとも言います。あまりこういうことを語る年配者はいないので、その点ではちょっと変わった見方だといえるのではないでしょうか。
しかし氏も年配者の一員、若者へのお説教も怠りません。
ニートが働かない理由として、「自分に合う仕事がしたい」などという考えがあるが、とんでもない、仕事は彼らのためにあるのではなく、社会の側にあるのだから、考え違いをしないようにと語っています。


戦後の急速な経済発展と生活の西洋化は、日本人に都市化=脳化を促してきました。「ああすればこうなる」ものだと皆が考え、その論理からはみ出るものは排除する。現代はそういう社会であると氏は主張しています。しかし、私たちは脳内で作り上げた世界のみでは生きられません。もし仮に、現代が「ああすればこうなる」領域をたくさん作っているのであれば、それでは語れない無秩序がどこかへしわ寄せになって集まってきます。それが少子化であり、ニートであり、その他の様々な社会問題として露呈するのではないでしょうか。

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書評「心脳コントロール社会」

2006/07/22 23:31
書評「心脳コントロール社会」
小森陽一著
ちくま新書

「心脳」ということばに興味を持ち、読んでみました。
脳ということばは最近どこでも聞かれるようになりましたが、「心脳」というのは初耳でしたので、つい手が出てしまいました。

本書は昨今流行の「脳科学」そのものの解説書ではなく、脳科学を応用したマーケティングがいかに行われているかについて書かれた本です。
「心脳」とはマーケティングの分野の専門用語のようです。
ハーバード大学に「市場心脳研究所」という研究所があり、そこのザルトマンという教授の著書の邦訳であるということです。

心脳とは
心脳とは、認知神経学に基づくもので、「人間の心とは脳が活動するものである」という脳科学的認識を前提にした専門用語だそうです。英語では「mind/brain」です。そして、その最新の脳科学の知見を取り込んだマーケティングの手法を「心脳マーケティング」というのです。

心脳コントロールのマーケティング
本書では、心脳マーケティングに警鐘を鳴らす本です。そのため、心脳マーケティングの概論と具体例、そしてそれらのメカニズムと「脱・心脳コントロール」を説いています。
心脳マーケティングの代表例として、著者は「ブッシュ政権の政策」と「小泉内閣の衆議院解散総選挙」を挙げて解説しています。具体例から法則説明をされているので分かりやすく、それだけに心脳マーケティングがもたらす恐ろしい効果を理解することができます。

心脳マーケティングのメカニズム
心脳マーケティングの目的を大ざっぱにいうと、PRを受ける側を「思考停止」にしてしまう手法ということができると思います。
例えば本書で取り上げられている解散総選挙での小泉首相の採用したPR戦略。この選挙での小泉首相の戦略は「郵政民営化、Yes? No?」でした。郵政事業を民営化するということはどういうことなのかという、政治的に議論しなければならないテーマを棚上げにして、イエスかノーかをシンプルに国民に訴えかけたことでした。
そこに行き着くまでいろいろなプロセスがあったそうですが、単純にいうと私たちはこの「Yes? No?」の問いかけによって、それ以前に考えなければならないことを思考停止させられた、ということなのです。
ここで多くの人を思考停止に導く基本要素として、その選択が「快」か「不快」かという、いわば動物的本能に訴えかけるものでなければならないことが挙げられてます。民営化をすることは競争が生まれ、市場が活性化し、よりよいサービスが生まれる場を生むことになる。つまり民営化は「是」であり、「快」であるということを前提に、イエスですかノーですか、と問いかけたということなのです。これによってイエスかノーの選択だけに焦点が絞られ、それ以外は判断基準の外に追いやられることになったということです。これが、心脳マーケティングなのです。

心脳マーケティングへの警鐘
著者はこのことに警鐘を鳴らし、私たちに入力される情報に「なぜ?」と疑うことが大事と主張しています。本当にそうなのか?、その選択肢しかないのか?、偽りの選択肢の中にはめられているのではないか?などという、人間が内発的に発する「なぜ?」という問いかけが必要であると結んでいます。

現代は、放送メディアの普及やネットなどの通信インフラの急速な整備によって、私たちが得ることのできる情報が急激に増加しました。そのような社会の中で私たちは、情報を適切に取捨選択する術を身につけなければならない、ということを示しているのではないかと思います。

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書評「ヤバいぜっ!デジタル日本」

2006/07/16 17:38
書評「ヤバいぜっ!デジタル日本」
高城 剛
集英社新書

イヤまいりました。面白かった。
筆者はその昔、日本に「マルチメディア」ということばがエラく流行った時期に、最先端の人としてテレビなんかに出まくっていた人であった。そのこと私はコンピュータの会社でマルチメディアのホンの小指の先ぐらいの事業に関わっていたので、そういうことに関心を持って見ていた時期だった。その後しばらくお姿を拝見しなかったので、記憶の彼方に埋没していたのだが、このたび本屋で再会する運びとなった。
実はたいして期待せずに手に取り、何気なく買ってしまったのだが、私が見ない間に凄いご活躍をされていたことと、その経験が余すことなく本書に詰め込まれていて、一気に読んでしまった。

本書は、ITの進化を「ウェブ進化論」などとは違う視点から見ていることにおいて、私にとって有益であった。筆者は映像のクリエイターなので、ITの技術的な側面からではなく、コンテンツをクリエイトする立場からこれからの日本を論じていることが非常に新鮮で、これを読まなければ危うくグーグル信者になってしまうところだった。別にグーグルを否定している訳ではない。グーグルがITの世界で全能の神のように取り上げられている他の書に対し、ポイントが違うゾと述べているのである。

本書の主張は、ITやWeb2.0が変えるのは「考え方」だということである。そして、日本はその世界的な考え方の変化についていっていないことを危惧し、警鐘を鳴らしているのである。例えば自動車の登場によって変化したのは、車そのものではなく、宅配便やコンビニなどの流通などにある。自動車産業がなければそれらの産業も成り立たない訳であって、変化というものはそのような形で我々に影響してくるというのだ。だから、これからの大変化は、ネットではなく、あらゆるリアルな場で起きるのである。今はネットの中で大変化が起きているが、それは過渡的なものであって一瞬で収まる。次はリアルは我々の生活の現場で起こる。問題はそれについていけるか、ということなのだ。その意味で、著者はヤフーもグーグルもアマゾンも、よいのは今であって将来はわからないゾと言っているのである。

とにかく、今は大変革の時期であって、その主役はウェブの向こう側で起き、我々の身近に迫ってきているというのが現状だと思う。その変化にどう対応するか、そして、変化の後、どうしていけばいいのか…。新しいことを受け入れるのは不安であるが、あらゆる人にチャンスが与えられている瞬間でもあるように思う。

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書評〜「江戸の海外情報ネットワーク」

2006/07/15 16:11

『江戸の海外情報ネットワーク』
岩下哲典
吉川弘文館

江戸時代は鎖国の時代です。もっというと、鎖国という対外政策を行っていた時代です。
鎖国というと、外国との関わりをいっさい持たないようなイメージがありますが、実際にはオランダや中国などに限り、国交を開いていました。つまり、幕府の管理統制下での制限外交だったわけです。
本書は、そんな状態の中で日本はどんな海外情報ネットワークが存在していたかを考察している本です。

江戸の海外情報
江戸時代、人々は海外についてどの程度の知識があったのでしょう。このことを物語る資料として、西洋事情を記した文献や輸入品、来日した外国人からの聞き取りなどがその糸口になっていました。が、それらの情報は幕府の統制・管理下にあり、制限性と指向性のある情報のみ流通していたのです。

情報ネットワークは発達していた
しかし、情報のネットワークという点においては、かなり発達したネットワーク網があったのだといいます。ひとつの例として、象の来日のエピソードが紹介されています。
象が近世の日本にやってきたのは1回きりではありません。しかし、享保期のそれは他のものと一線を画しています。それは、時の将軍、8代吉宗が直々に象を発注しているという事実です。このときの象来日は、吉宗の依頼に応じてベトナムより象が輸入され、長崎から60日かけて江戸にやってきました。
ここで注目すべきは、日本の最高権力者は、象を発注することのできる海外ネットワークと、それが江戸まで移動してくる際の道中の手配ネットワークが完備されていたということです。日本は当時、海外にも、国内にも情報の伝達ネットワークが存在した、ということです。

情報ネットワークから漏れ出る情報
これらは、あくまでも日本の権力者による情報ネットワークでした。当時は今のように自由に海外に行ったり、海外の人を受け入れたりすることは、一般のレベルではできませんでした。しかし、象の来日のエピソードは、一般の人々に多大なる影響を与えたであろうと筆者は論じています。60日かけて街道をノッシノッシ象が歩いたのでしょうから、イヤでも周りの人々の目に留まります。さぞビックリしたことでしょう。また、このことで外国に興味を持つ一般人が増えたのではないかという考察は、頷けるものがあります。
また、このことは吉宗本人にも何らかの影響を与えたのではないでしょうか。吉宗はこのあと、蘭学や洋書の輸入規制を緩和するおふれを出しています。

統制情報ネットワークの破綻
江戸時代の幕府統制・管理ネットワークはけっこう末期まで機能しました。破綻のきっかけはペリーの来航でした。ロシアの対馬占領問題、アヘン戦争によるイギリスの脅威などがうすうすと在野の志士のもとに情報として漏れ始め、ペリーの来航とともに情報規制は破綻しました。

情報ネットワークの変革
江戸時代の情報ネットワークの変化をざっくりいうとこのような流れですが、このことは今の情報ネットワークの変革にも言えることではないかと思うのです。
江戸時代末期の情報ネットワークの変容は、ネットワークの形態そのものに革命が起きたのではありません。あくまでも従来の情報管理システムが別の動乱によってそのあおりをうけたような格好です。対して現代の情報ネットワークの変化は、新しいテクノロジーによる情報ネットワークそのものの革命です。その主役はインターネットです。私たちはインターネットにより情報を容易に手に入れることができるようになりました。しかも、インターネットでは一方的なバイアスのかかった情報だけでなく、いろんな角度からの情報を手に入れることができるのです。

情報の価値
今、情報は大きく変わろうとしています。それは、与えられるものから探すものに、一方的に受け取るものからいろいろなものを選び、比べるものに、そして、ただ流れてくるものから対価を払うものに変化しているように思います。
情報は、それ自体が価値あるものとして経済的な流通を発生させ、そのネットワークを形成することは経済活動を伴うものとして成り立っていくものに変わっていくのではないでしょうか。


江戸の海外情報ネットワーク


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書評「Web2.0でビジネスが変わる」

2006/07/06 16:52
『Web2.0でビジネスが変わる』
神田敏晶
ソフトバンク新書

このところ本屋さんなどに行くとこの「Web2.0」なることばが氾濫しているのに気づきました。コンピュータをお使いの方なら「Webがバージョンアップしたのか」と思うのですが、どうもそういうことではないらしい。本書は、じゃあ何?ってことをわかりやすく解説してくれる本です。
著者によると、Web2.0とは「バズワード」なんだそうです。何となく使われる、流行語のようなものだと説明されています。そんなものがビジネスを変えるの?甚だ疑問であります。

Web2.0の本質
本書は先に出版された『ウェブ進化論』(梅田望夫、ちくま新書)と内容がオーバーラップする部分が少なからずあります。というか本書の中で『ウェブ進化論』を引き合いに出している部分もあり、まさに姉妹誌といった感じです。しかし、両書は続けて読むと非常に内容が明確になり、Web2.0とは何ぞや、ということがよく理解できます。『ウェブ進化論』が多少観念的であるのに対し、本書はそれを受けて具体的事例で補った、という印象です。上下刊だと思えば整合性がとれる気がします。
それらの中で描かれている「Web2.0」とは何なんでしょう。これを一言で言い表すのは難しいので本書に譲るとして、その本質は、現在のビジネスのあり方を変えてしまうものであるということなのです。そして、その舞台となるのは、Web=インターネットの世界で、その中で「革命」が起きているのです。
つまりは、ネットの世界の中で一大経済圏が築かれようとしている、ということなのです。その中で商売が成り立つようになる、いやもう成り立っているものもあるのです。
その中で取り扱われる商品は「情報」だと、私は考えるのです。

ネット経済圏で取り扱われる商品は「情報」
現在、ネットの世界でもっとも実際のビジネスに影響を与えているのが広告の分野です。グーグルが陣頭指揮をとり、ヤフーその他が追随している、最も急激に伸びている分野です(日本ではヤフーがトップですが)。広告の王様であるテレビは、2005年の総売上は2兆411億円。想像つかない数字です。対して、ネット広告は2808億円。テレビの売上の13.8%程度にしか過ぎません。しかし、前年比を見ますと、テレビは104.9%、ネットは153.1%。まさに破竹の勢いです。このまま伸びていくと、5年でテレビ広告に追いつく計算になります。すでにラジオ広告は抜き、今は雑誌広告(3945億円)に照準を絞っている状態です。
広告は情報です。「新製品が出たよ!」「安いから買って!」など、商品を告知するための情報なのですが、これがネットと非常に相性がいい。そのため、ネットは広告のあり方を一変させるパワーを持って伸びているのです。今まで、ネットに情報を載せることは、収入を生まない口コミ的なものでしかありませんでしたが、それが経済を伴って回り始めたのです。それが、Web2.0の唱えることのひとつなのです。

ネットの広告経済の源泉は「ロングテール」
これらのかなりの部分は、いわゆる「ロングテール」の部分から稼ぎだしたものです。
ロングテールにつきましては本書をご参照いただきたいのですが、このロングテールこそがネットが今までのビジネスモデルではあり得なかった経済のスタイルなのです。ロングテールの象徴は、アマゾンというネット書店が、売上げの3分の1を売上13万位以下から得ていることに現れています。アマゾンの蔵書数は200万冊を超えるので、売れるか売れないかわからない、売れても1冊しか売れないであろう本たち187万冊がアマゾンの利益をたたき出しているのです。これがロングテールの恐ろしさであり、リアルな世界の本屋さんが決して真似できないビジネスモデルなのです。
アマゾンのロングテールモデルも「情報」から成り立っています。それが「アフィリエイトプログラム」であり、個人の情報発信がアマゾンのロングテールを支え、それによって得られた富が情報主の個人に配分されるのです。このとてつもないシステムがWeb2.0によって支えられているのです。

Web2.0でビジネスは変わるか?
このような大変なパワーを持ったWeb2.0ですが、果たしてそれがビジネスを変えていくのでしょうか。それは、変わるかもしれないし、変わらないかもしれない…。冗談はともかくとして、私は、変わる分野もあれば変わらない分野もある、そう思います。ネットの世界で起きているこれらの活動は、基本的に新しい潮流だと感じています。それが既存のビジネスのある分野を浸食するのだと捉えています。最初から競合しようとしていたのではなく、気がついたら食われちゃっていた、という感じになると思っています。しかし、新しい潮流に飛びついていけるかどうかによって、これからのビジネスは変わっていくだろうと思います。ネットにはネットの得意分野があります。その部分を活かして、既存のビジネスに活用していくことが結果的にビジネスを変えていくのだろうと思います。

本書はそんなネットの可能性を感じさせてくれる一冊です。
Web3.0が唱えられるころには、世の中はどうなっているのでしょうかねぇ。

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書評「伝統とは何か」

2006/06/18 17:50
『伝統とは何か』
大塚英志 ちくま新書 2004.10

伝統とは何か。
伝統とは守るもの、語り伝えるものだという印象があります。
しかし本書は、伝統とは、それを求める人々によって「創られて」いく側面があるといいます。私たちはそれを、ただ無批判に、前からずっとそこに「ある」ものとして信じこんでいるに過ぎないのであり、さらに、それらのほとんどは近代、つまり明治〜大正〜昭和期において創り出されたものであるというのです。

本書は、私たちが何となく「伝統だ」と信じている考えや習慣を取り上げ、「伝統」という考え方そのものがいかにしてつくられていったのかを検証しています。

論旨の題材となるのは、明治〜大正〜昭和期に活躍した、民俗学の学者たちの研究文献です。その中心となるのが柳田國男氏です。彼の遺した研究と彼の周囲にいた研究者たちの文献を、当時の社会情勢、経済、流行などの背景と比較しながら、「伝統」を検証していきます。さらに文人らの作品も加え、当時の「伝統創り」の広がりを紹介しています。
日本人起源論の変遷、日本人は母性が強いと言われる理由、また、妖怪・おばけ・幽霊はいかにして語られるようになったのか、そして、郷土を研究することが愛国心へととってかわるカラクリと、検証の対象は民俗学で語られるものを中心に展開されていきます。そうしたいわば「伝統のつくられ方」を検証していきながら、「伝統とは何か」を紐解いていきます。

本書の中で筆者は、「愛国心」に触れています。これは現在国会で取り沙汰されている教育基本法改正で議論の対象となっており、最近耳にされたこともあろうかと思います。伝統が、求められ、創られていくものだとすれば、現在の愛国心は今の世にどのように求められ、創られていこうとしているのか。筆者はこれを昭和初期の世界大恐慌から始まる不況と関東大震災が重なった時代になぞらえ、示唆を与えてくれているように思えます。

本書は、前半に多少判然としない部分がありますが、順に読み進めていくとだんだん解けてくるといった仕組みになっています。それは、「伝統」を分解し、資料と比較し、それらを組み合わせることによって「伝統」の組成を丁寧に明かしてくれているからです。古い骨董品をバラバラの部品に分解し、ひとつひとつを検証していくイメージです。そして、それらはすべて著者の主張する結論へと、またひとつのかたちを成していくのです。

著者は、私たちが真に「創る」べきなのは、「伝統」ではなく、「個」から出発する「公共性」だと主張します。それぞれの「個」を確立させ、その違いを語り合いながら、共に生きうるための価値を「創る」ことだと言うのです。それを創ることができれば、私たちには「伝統」は必要なくなると語っているのです。

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